クロス・フォー The Second 未収録(?)原稿 03



「はい、免許証出して」
 そう言って掌を差し向けた白バイ警官の声に、糸川絹彦はしぶしぶ懐から免許証を取り出し、その手に載せた。今年で四十五歳になる絹彦が――それまで仕事などの様々な問題で取得できず――数年前にようやく取得したものだ。あと一月もすれば誕生日だ。それに併せた更新で、ゴールド免許になるはずだったのだが……。
 ちょっとした気の弛みだった。朝から調子の悪かった腹の具合が一気に進行し、途中でトイレに立ち寄ったあと、シートベルトをし忘れたまま数百メートル走ったところで、たまたま居合わせたこの警官に見つかってしまった、というわけだった。
「今回が初めて? まあ、運が悪かったと思って、これからは安全運転を心がけてくださいねー」
 まだ若い警官は、どこかからかうような口調で調書になにやら書き記している。運が悪いといえばそれまでの話だが、やはり情けなくもあり、また多少の憤りも覚えていた。もちろん八つ当たりだ。
 絹彦は憮然とした表情で顔を上げ、何気なく道路に視線を移した。
 そこに――猛烈な速度で勢い迫ってくる黒い車体を見つけた。爆音はドップラー効果をあたりにまき散らしつつ、あっという間に二人の立っている路肩の側を駆け抜けてゆく。
 半ば呆然と、その有り様を見つめていた絹彦だったが、はっと気付くと傍らの警官に食ってかかった。
「ちょ、ちょっとアンタ! あんなのを放っておいていいのか!?」
 内に溜まった憤慨を全て吐き出すような絹彦の勢いに、警官はちらりと顔を上げただけで答える。
「ああ、あれはいいんスよ。話は聞いてますから」
「……は?」
 思いもかけないその返答に、絹彦の目が点になる。
「治外法権ッス。下手に手ぇ出すと、火傷どころか全身火達磨になって国外追放ッスよ。……ま、事故らないようにってだけは言ってあるんで、大丈夫っしょ」
「……あんた、それでも警官か?」
「もちろん。……ま、言いたいことはわかるけど、それはそれこれはこれ。はい、こいつを罰金と一緒に近くの警察署に持っていって下さいね。それじゃ、安全運転でよろしくっ」
 あくまで陽気な声で警官はそう言うと、バイクにまたがって颯爽と走り去っていった。
 あとに残されたのは、意味不明な表情の絹彦だけだ。
「なんなんだ、いったい」
 あんな警官ばかりじゃ日本も先は長くないな、と愚痴をこぼしながら、絹彦はとぼとぼと自分の車へと足を向けるのだった。

 その頃、噂の車の中では――。
「ちょっとちょっと、美沙ちゃん。やっぱりこれ、スピード出し過ぎじゃない!?」
 助手席に収まり身を縮ませていた鷲士が、猛烈な速さで消え去ってゆく風景や他の車に目をやりながら言った。さっきからもう幾度となく吐いた台詞だ。その都度見やる速度計は今、時速200kmを軽くオーバーしている。
「なーに言ってんの。こんなんじゃ出遅れた分の一割も取り返せないじゃないの!」
 軽い口調でそう応えたのは、もちろん鷲士の実の娘、美沙である。
 速度制限もさることながら、まだ中学生でしかない――しかも群を抜いた美少女である――彼女が運転していたと知ったら、糸川絹彦などはどう思ったことだろう。
「で、でもこれはさすがに危ないよ……」
 おそらく高速道路の法定速度以上の速さで走っているだろう車をも楽々とちぎってゆく様は、驚きよりももはや恐怖の方が先に立つ。怖いもの知らずの美沙だからこそこんな芸当に耐えられるのであって、ごくごく一般常識的な感覚しか持ち得ない鷲士にとってすれば、とてもではないが耐えられるものではなかった。
「だいじょーぶだって。鷲士くんってば心配性なんだから…っと、料金所だ。うわ、めっちゃ混んでるじゃない」
 一瞬だけちらりと隣を見やった美沙が、急激な減速をかける。時速200kmからの減速だけに、急ブレーキになるのは当たり前だな。と、シートベルトに身体を食い込ませながら冷静に考える鷲士だった。事故が起きないのが実に不思議に思える。
「あー、ダメだわ、こりゃ」
 美沙のぼやく声に顔を上げれば、前方の二車線はかなり先にある料金所まで車に埋め尽くされていた。これではいかに美沙であっても、どうすることも出来ないだろう。
「やっぱ、日本の道路事情は根本から見直させないとダメね〜」
 ハンドルに頬杖ついて、溜め息とともにそんな愚痴をこぼした。
「……そんなに言うなら、車なんかでこなきゃ良かったのに」
「仕方ないじゃない。ホントはヘリで行こうかなーとか思ってたのに、冴葉が倒れたりするから……。まさかヘリの手配ひとつであんなに手間取るとは思わなかったわよ」
 世界の情報産業を席巻する一大企業、フォーチュンテラーの会長秘書にして事実上のナンバースリー、かつトレジャーハンター『ダーティ・フェイス』の作戦本部長のような立場でもある片桐冴葉は、実に多忙である。
 その彼女が先日、体調不良で倒れたからさあ大変。諸々の手続きやらなにやらでこの数日は美沙もてんやわんやな状態であったらしい。そんな中、先日手に入れた古文書から、お宝たるモノがあるだろう場所を特定できたのが三日ほど前。
 そこですぐに動ければ良かったのだろうけれど、そうは問屋が卸さない。運悪く美沙の中間試験にぶつかってしまい、やむなく三日を棒に振ることとなった。――鷲士がそれを許さなかったこともあるが、なにより美沙自身がヤバイと感じていたようだ。
 平行して移動手段を検討していたのだが、、冴葉の体調不良からスケジュールが遅れていたメンテナンスの関係で、ヘリはすぐに使える状態では無かったため、待つのが面倒だと自ら車を駆った美沙だった。
 結局、古文書を手に入れてから一週間ほどが経っていた。
「そんなこと言うもんじゃない。冴葉さんは頑張りすぎなんだよ。……でも大丈夫なのかな、風邪」
「うん、たいしたことはないみたい。アレね、『鬼の乱獲』ってヤツ」
「……それを言うなら『鬼の霍乱』。鬼なんて乱獲するほどいないでしょ、もしいたとしても」
 間違いを指摘しつつ、そんな冗談を織り交ぜてみる。
 しかし、敵も然る者引っ掻く者。予想もし得ない返答が返ってきた。
「なに言ってんの。いっぱいいるわよ」と。
「…………はい?」
 冗談とも嘘とも思えないその断定するような言葉に、鷲士は隣席の美沙をまじまじと見つめた。長いツインテールを揺らす彼女は、渋滞に巻き込まれて暇を持て余し始めたのか、語る口調に熱を持ち始めた。
「まあ、一括りに『鬼』なんて呼ばれているけど、実際のところはいくつかのパターンに分かれてるっていうのが、現在の見解ね。昔の、ごくごくフツーの人たちからすれば、異能の持ち主だった彼らは結局、『自分たちとは違う』っていうことで一致していたからなのかも知れないけど」
「パターンって?」
 美沙の語る内容に興味を惹かれた鷲士が、意味を計りかねた単語を問う。
「出自っていうか、もともとの意味合いが違うっていうか……。少し違うけど、わかりやすく言えばキリスト教における悪魔みたいなもんね。あれだって、元を質せば別の宗教の神様だったりするわけでしょ」
 うん、と頷く鷲士。
「『鬼』もそう。大まかには二つ……三つかな、に分けられるんだけどね。もともと神様だったのと、最初からこの国にいたのと、外国からやって来たのと。神様っていうのは、日本古来の土着の神々のこと。八百万っていうアレね。でも神話にあるように、アマテラスとかそのあたりの神様が天から降りてきたことで、徐々に力を失っていって『鬼』にまで成り下がったって言われてる。『土蜘蛛』なんて呼び名もあるみたい」
 美沙が、わずかに生じた隙間に滑り込もうとした車を牽制するようにアクセルを踏んだ。
「もとからいた奴らっていうのが、イメージ的に一番『鬼』に近い魑魅魍魎の類。んで、もう一つは外国からやって来た奴ら。……『鬼』なんて呼ばれてるけど、これは実際には人間ね。向こうを追われてきたりして日本にやって来た。でも昔の人は外人なんて見たこともないから、『鬼』と呼んで忌み嫌った……ってところじゃないかしら」
「はぁ……なるほどねぇ。そんな話、どこかで聞いたことがあるよ」
「でも、噂とか伝説なんかだと、本当に人外の力を持った人たちだったんじゃないかっていう説もあるのよ。……で、地方によっては『山の民』とか、『夜の一族』なんて呼ばれたりしてる。……ま、ホントのところはどうだかよくわかってなかったってとこね」
「なかっ…た?」
 美沙の最後の言葉が過去形だったことに気付いた鷲士が、疑問の声を上げる。
「そう」
 勢い込んで頷くと、美沙はずずいと身を乗り出――そうとしてシートベルトに阻まれた。ばつが悪そうにベルトに悪態を吐いてから、美沙は改めて一枚の紙を示した。
「これはその『夜の一族』が書き記したものなの。……つまり、実際にいたっていう証拠なわけ」
「…なるほど」
 ようやく話を掴めたのか、鷲士が頷いた。
「それで結局、どこに向かってるわけ?」
「それは着いてのお楽しみ。さて、渋滞でストレス溜まった分、思いっきりぶっとばすわよっ!」
 そう言って、美沙はアクセルを吹かした。ようやく渋滞していた料金所を抜け出したのだ。事情を知らない料金所の係員は運転する美沙に驚きの表情を浮かべたが、運転免許証――もちろん国に言って特別に作らせたヤツ――を提示したら、顔色を真っ青にして一も二もなく頷いていた。どうやら葵の印籠くらいの効果を持っているらしい。
「ひっ……安全運転で行こうよおおぉぉぉぉぉ…………‥‥‥‥・・・・」
 猛烈な勢いで流れてゆく山々を背景に、鷲士の絶叫が高速道路に木霊してゆく……。



 クロス・フォーを読んでいただいている皆様、こんにちは。上記はクロス・フォー2(名称未定)用に書いていた原稿のうち、おそらく使うことはないだろうと思われるものを選んで2006年夏コミで発表したものです。
 そして最後にダディ・フェイス親子の登場シーンになります。読んでいただいた中にちらっと別の作品が二つほど含まれていたりしますが、この作品中には出てこなかったりします。(世界観は私の中でつながっていますけど)
 そんなわけで、クロス・フォー2のボツ未収録原稿でした。

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